PROFILE

本田 聡(Satoshi Honda):Vocal,Bass

1965年10月20日 東京生まれ
1989年 GD FLICKERSにてVICTORよりデビュー、その後 Rittz(東芝EMI)、VERSUS
GITANE(徳間ジャパン)、buGを経て、現在は実兄であるギタリスト本田毅(PERSONZ、etc)とfringe tritoneに在籍中。
2019年はメジャーデビュー30周年を記念してGITANE結成20周年記念ライブを行い
自身のソロプロジェクト『SatoshiHonda.com』を立ち上げる。
ベーシストでありながら自主レーベル「buG in the HEAD」の代表も務める。

 

兄の影響で中学時代よりベースを始める。最初に組んだバンドはギター、ベース、ドラムのトリオ編成だった。
KISSのジーン・シモンズをコピーする事からスタートしたベーシスト人生だが、LedZeppelinのジョン・ポール・ジョーンズのコピーで早速挫折する。
初めて買ったエフェクターはMaxonのBassBooster。こいつを使ってDeepPurpleのロジャー・グローバーになろうとしたが音作りの時点でよくわからずエフェクトリックベーシストの夢はスタートでいきなり頓挫した。

そんな中、ロジャーの後に加入したグレン・ヒューズのファンキーな歌声に大きな衝撃を受け「歌いながら弾けばベースの下手さを誤魔化せるはず」との結論に導かれる。
誤った考えに自信を持ったせいでベースの練習は全くしないまま、好みの音楽だけはドンドンとテクニカルなものに傾倒していった。つまりはプログレッシブロック道である。

ここでYESのクリス・ククワイアと出会うのだが、彼のリッケンバッカーから奏でられるベースサウンドから受けた衝撃は後の自分のプロフィール欄、そしてインタビューでの『影響を受けたベーシストは?』という質問、そのどちらにおいても真っ先に語る定番となった。だが本当に今でも好きなのかは不明、いや好きです(笑)

プログレに傾倒していた自分だったが、当時全盛だったパンクロック〜ニューウェーヴの新しい波に押し込まれ、いつの間にか『プログレなんてダサい』と言うバンド仲間に同調していた。好きだと言えるような雰囲気では無かったのだ。
しかしそれもTHE POLICEとの出会いでプログレだろうがパンクだろうがそんな事はどうでも良くなった。

スティングの音数の少ないベースプレイはとにかくクールだった。「彼らのスタイルであるロックとレゲエの融合に触れたその時、ベースという楽器がリズム楽器である事を初めて知った、穴があったら入りたかった。」と後に此処で語っている。(此処かよ!)

そして今に至る(途中端折り過ぎw)

意外に知られていないが、これまでのバンド活動において多くの曲を作っている。
その楽曲を一言で言うと 『少し変』

 

座右の銘は『年に一度は内視鏡』。

 


友森昭一(Shoichi Tomomori):Guitar

高校2年から楽器をはじめ数々のインディーズバンドを渡り筋肉少女帯に加入する。その後 布袋寅泰が抜けた後のAUTO-MODに加入する。同時期にGO-BANGSのプロデュースを手掛けたり振り幅の広い活動を始める。19歳でREBECCAに加入。その後BOØWY解散直後の氷室京介に参加。そして自身のバンドRittzで東芝EMIからデビュー。現在活動停止中。
サポートギタリストとしては。藤井フミヤ、hitomi、大塚愛、椎名慶治、鬼束ちひろ、傳田真央、上杉昇、…
高橋まことにより集められたバンド JET SET BOYS(椎名慶治vo、タツbass) と多方面で活躍している。
番外としては 椿鬼奴とのバンド、金星ダイヤモンドでドラムを担当している。


 

大山正篤(Masanori Oyama):Drums

1977年 吹奏楽部部長としてトランペットと打楽器を担当。 3年連続北海道大会銀賞
1980年 ROCKに興味を持ち、バンド活動を始める。
1982年 大学進学を口実に上京し、本格的にバンド活動を始める。
1986年 「ZIGGY」(徳間ジャパン)にてメジャーデビュー。
1989年 オリコンチャート1位獲得、武道館ライヴソールドアウト。
1990年 一年間の休業宣言。代々木第一体育館ライヴソールドアウト。
「山瀬まみ」(ポニーキャニオン)作詞提供。
1991年 復活後、武道館ライヴソールドアウト。
1992年 「ZIGGY」脱退。
1993年 「LAV」(wea)にてデビュー。
1995年 「LAV」活動休止。
1995年~1996年 「Laputa」(東芝EMI)編曲、サウンドプロデュース。
1997年 「Guitar Monster Vol.2」(SONY)プログラミング。
1998年 「Shammon」(コロムビア)にてデビュー。
1998年 「こみやあやか」(コロムビア)詩曲提供。
1998年 「ends」(ビクター)参加。(REC、LIVE)
1999年 「Shammon」移籍(徳間ジャパン)。
2000年 「DEVELOP=FRAME」(アンリミテッド)編曲、プロデュース。
2001年 「仲谷かおり」(BMT)フルプロデュース。
2002年 「BLOOD」(クラウン)REC、サウンドプロデュース。
2003年 「バンタンミュージックカレッジ(現ワタナベエンターティメントスクール)」にて講師活動開始。
2006年 「音楽大百科事典Addiction」にてインタビュアー&レポーター活動開始。
2008年 「東京スクールオブミュージック」にて特別講師活動開始。
2009年 「web rock magazine BEEAST」にて執筆活動。
2010年 「Bad sixx Babies」に参加。
2019年  一般財団法人JADP(日本能力開発推進協会)認定のメンタル心理カウンセラー及び上級心理カウンセラー資格を取得しwebカウンセリングを展開中。
https://peraichi.com/landing_pages/view/hugtheheart

40年以上に渡る音楽人生、30年以上のプロ活動の中で、
独自の世界観を持った作詞/作曲/プレイング/プロデューススタイルを
身につけ、各界で高い評価を得る。

現在ではドラムの他に、アコースティックギター&ボーカルもこなすマルチプレイヤー。

また、講師活動においては、生徒にとってコストパフォーマンスの高い
「マンツーマンレッスン」にこだわり、結果を出し続けている。